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1997年に出合いましたが、沢山キリムを見てきた私たちでも、出所の特定が未だできません。
織り手が伝統を踏まえながらも、自由な発想で織ったキリムを見ていますと、交流のない織り手達ですが、「極める」を目指すとき、その方向は偶然にも似ているように思えます。
どのように思われますか?
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